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先輩たちのたたかいに学ぶ〜三池の青空保育所

1960年。「安保」改定反対闘争と、石炭産業つぶしによる炭鉱労働者の大量解雇に反対する「三池闘争」が結びついた国民的大運動がおきた年である。

まだ8歳のころ、わけもわからず「アンポハンタイ!」と、同級生だちと腕を組んで小学校のグラウンドを駆け廻って遊んだ。ただ世の中が熱く騒然としていた記憶はある。

福祉保育労60周年を迎え、記念事業実行委員会では記念誌「福祉の未来をつくる風になろう」を発刊した。

後段の1983年に発刊された30周年記念誌の復刻版の抜粋では、今回掲載できなかった当時の記事に「60年代の日社労組〜三池闘争に派遣されて」の対談記事がある。

当時、昼夜2交代勤務の炭鉱では企業内保育所の設置が企業側にも間違いなく必要であり、三池の託児所は大正5年からあったが、三池闘争を機に企業は保育所をロックアウ
ト、子どもたちが保育所から締め出された。

「三池の子どもを救え!」と、東京・大阪の日社労組(福保労の前身)の組合員や学生が九州に派遣され「青空保育所」を開所し三池闘争を支えた。

日社労組大阪支部は当時21歳の清水佳子さんを派遣。清水さんは「現地の受け入れ態勢もはっきりしないまま、ひとりでリュックを背負い夜行列車に乗って参加しました。ま
た安保闘争のデモでは、歩道を歩いているおじさんやおばさんが次々にデモの隊列に加わり一緒に行進した、国民が熱く燃えた運動でした」と語っている。

また、清水さんが大切にした言葉として「〜誰が何と言おうと歴史は進んでいる。その中で自分か何をするのかではなく、自分がどう生きるのかが問われている。〜何もしな
いということは、結局社会の流れの反対側に加わることになる」と述べている。

6周年記念事業実行委員会に参加した組合員は、倉庫で埃まみれになりながら60年の歴史を紐解き、記念誌やDVDの作成にとりくんだ。その作業で多くの諸先輩のたたかいを
学んだ。三池闘争の「青空保育所」はそのほんの一部である。