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解散・総選挙は何が争点なのか?

突然の解散・総選挙である。現憲法下での八月解散は、五三年前の吉田内閣の「抜き打ち」解散以来という。吉田内閣の「抜き打ち」解散は、理由があまりに政治的だとして違憲訴訟までおきた。今回の衆議院解散も、考えてみれば余りに道理のない選挙である。「『郵政民営化』法案が参議院で廃案になったから衆議院を解散」という小泉首相の論理は衆・参二院制度を根本から無視し、議会制民主主義破壊のきわめて危険な論理である。

小泉内閣と自・公与党の選挙争点は、「郵政民営化」だけだという。「構造改革の本丸が『郵政民営化』だからだ」そうである。しかし、小泉「構造改革」は本当に国民にとって必要なものなのであろうか。

小泉首相は、「構造改革」は21世紀の日本の重要な進路であり、それをすすめるためには国民に痛みのともなうということを、国民に対しまったくの他人顔で、「率直」に主張してきたといってよい。

日本社会のすみずみに、"市場原理の競争"を貫徹させることで、21世紀の日本はふたたび活性化し発展すると彼はいう。

結果はどうか。国民のなかに「勝ち組・負け組」意識と、極少数の成功者と圧倒多数の敗者がうまれ、貧富の格差はこの数年おおきく広がった。社会福祉や社会保障制度は、国民の競争意識を鈍らせ国家財政をひっ迫させる元凶として、総破壊といってよいほどズタズタに切り崩された。良識ある国民が認めてきた障害者福祉の「応能負担の原則」を、「応益負担の原則」に切りかえることはその象徴である。もはや今日、わが国には社会保障制度の原理・原則は存在しないといってよい状況である。

これまでの小泉「構造改革」の道のりは、あまりに国民だけに痛みが押しつけられてきたことを、私たちはしっかりと見ておく必要がある。そして「構造改革の本丸」と位置づけられた郵政民営化の本質も、国民の蓄財を日米の巨大銀行に食い荒らさせること以外、何ものでもないを一言附しておく。

小泉「構造改革」は終着点がある。その終着点は、現行憲法を改悪し自衛隊を軍隊としてアメリカ軍と一緒になって世界を闊歩することである。

暑い日がつづくが国民にとっては喜ぶべきか、たいへんな正念場をむかえたものだ。