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中年世代へのあついメッセージ

臨時大会で「若々しい多くの組合員の中にシワよせた中年組合員が…」の委員長まとめに対し、中年組合員からいくつかの意見があった。「中年を励ますものであってほしい」「『シワよせた』の表現はセクハラではないか」等々である。

「将来不安にかられる高齢者」とか、「未来に希望のもてない若者たち」等は、今日の国民生活をめぐる状況説明に、よく用いられる常套句である。では、中年のおかれた状況は、どのように表現したらばよいのであろう。また、「中年」とはどの世代を指すのであろう。
世間一般に青年期といえば、やはり20代までであろう。だとすれば、30代は中年初期、40代が中年中期で50代は中年後期、50代後半ともなれば中年晩期といって良いのかもしれない。

「中年」期は人生の中でもっとも働き盛りであり、職場では中堅を担う世代である。離職・回転のはやい民間福祉では、構成比も低く貴重な存在である。当然、組合運動や活動においても、職場の年齢構成を反映し貴重な存在となっている。

しかし、働き盛りなるが故に、世帯をもっていれば子育て真最中であり、中年後期ともなれば老いた両親の扶養や生活問題がおもく肩にかかり、職場だけでなく生活全体の重さを感ぜざるを得ない世代である。

競争主義と「右肩上り」否定の賃金や労働諸条件改悪は、とりわけ中年中期世代にとっては、「将来不安」どころか「毎日不安」として、きびしく日常生活を圧迫させている。普段であれば、眉間にシワよせ「疲れ顔」になって当然である。

が、しかし、働き盛り・中堅の中年世代が、「疲れ顔」に負けてしまえば、いまの時代、職場や社会の閉塞感はいっそう漂うだけである。この点、きびしい攻撃がつづく今の時代こそ、中年世代はその存在のあり方がするどく問われている。

「やせ我慢」といわれてもよい。「疲れ顔」を払拭し、「働き盛り」らしく、笑顔で、大声をはり、きびしい攻撃をはねかえす運動の軸に、ドッカリと座ろうではないか。