■組合の主張・焦点■ 戻る

ふたたび「日の丸」「君が代」について

5年前の1999年、突然のように「国旗・国歌法」が制定された。この法律は2条からなり、第1条「国旗は、日章旗とする。第2項・・・略」、第2条「国歌は、君が代とする。第2項…略」としている。

それまで「日の丸」は、徳川幕府の鎖国時代の明(中国)との交易船に、細々と使われていたという。徳川幕府崩壊後、明治政府は1870年にそれまでの慣習を太政官布告で「日本の商船の掲げるべき旗」と定めた。また、「君が代」は1893年の文部省告示「小学校祝祭日大祭儀式規定」公布により、小学校の祝日用唱歌として定められた。

「日の丸」「君が代」の出発点は素朴なほどに単純であり、そして、明治政府の「富国強兵」方針の侵略戦争への発展とともに、侵略戦争のシンボルともなった。

「国旗・国家法」の制定された1999年は現代史の大きな節目のように思う。この年は「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)が制定され、自治体や民間人を米軍のおこなう戦争に動員する「周辺事態法」が成立している。「新ガイドライン」制定と「周辺事態法」成立は、あたかも2001年のアフガン戦争と2003年のイラク戦争を予測していたかのようである。2001年の「9・11テロ」について、アメリカ政府内では、すでにクリントン政権時代に「テロの危機」が内部でささやかれていたという。

そうだとすれば、アフガン戦争で自衛隊がインド洋沖にまで出かけ、イラク戦争では多国籍軍に組み人った自衛隊の姿は、日米支配層はすでに1999年時点で想定していたのであろう。このように思うと、「国旗・国家法」と「日米新ガイドライン」、「周辺事態法」は三位一体であり、この三位一体は引きつづき教育基本法改悪と憲法改悪の流れに突きすすんでいる。

日本政府は、いまだに58年前の侵略戦争を認めようとせず、関係諸国に謝罪もしていない。小泉首相はブッシュ大統領にかしずき、靖国神社に参拝する。

「日の丸」「君が代」のもつ歴史を、しっかりと学ぶことはたいそう重要のように思う。