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「日の丸」「君が代」を考える

8月にオリンピックが開かれた。マスコミは連日、日本選手の活躍ぶりを報道していた。そして、日本選手の金メダル獲得とともに掲げられた国旗掲揚は、もちろん「日の丸」であり「君が代」である。

ところで、オリンピックでの「日の丸」掲揚・「君が代」演奏と、国技とされる大相撲「千秋楽」のそれとは感じるものが何かしら違う。「感じ」なのだから、もちろん私の主観である。しかし、この主観は、いっていの一般性をともなっているように思うのだがどうであろうか?

いったい何がちがうのか、あらためて考えてみた。大相撲とオリンピックの最大の違いは、「君が代」斉唱が場内に響きわたるかどうかのように思う。「君が代」の曲調は越天楽(えてんらく)であり、平安初期に唐から伝来されたもので、優雅な曲で古くから愛好されていたという。確かにオリンピックで聴く「君が代」の調べは、本当にゆるやかで優雅である。勝者が勝利の喜びを歓喜するというより、聴きようによっては勝者が敗者におくるレクイエムのようでもある。ついでに言えば、「日の丸」もいたってシンプルであり、あれ以上のシンプルなデザインはないように思う。ただ美的な点だけでみるなら、あのシンプルさもいいものかも知れない。

オリンピックに託けて、なぜ、「日の丸」「君が代」を持ち出したのか問う読者もいるかもしれない。さらに、述べている論調からは、「君が代」「日の丸」への非難や批判は一切おこなっていない。わたしが主張したいのは、これほど自然に「君が代」「日の丸」が入っ-てきてしまうからこそ、あらためて右翼や反動政治家の「愛国」思想に結びつけた「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱には、十二分すぎるほどの警戒心が必要だと思うからである。

オリンピックは、けっして国威発揚に利用されてはならない。勝者には、ごく単純・素直に賛賞の大きな拍手を贈りたい。オリンピック開催時に、政府が発表した「武器輸出3原則を見直しアメリカと共同生産を検討」を見逃さないためにも・・・。