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長野知事選の勝利の意味するもの

 九月一日の長野県知事選挙は、田中前知事が圧勝した。マスコミは「脱ダム宣言」の行方について、県民の評価がどちらに傾くのかさかんに報道し、選挙結果についてもその点への論評が集中した。
 「脱ダム宣言」とは、ムダな大型開発公共事業をやめよということであり、さらには「自然環境を守れ」の声でもあろう。
周知のように長野県は海辺のない地方であり、諏訪地域に精密工業はあっても、産業の中心は農業・林業、そして観光である。このようなさしたる産業のない地方にとって、大型開発の公共事業は「背に腹はかえられない」重要な産業であったはずである。少なくとも過去はそうであった。このような大型開発の公共事業の“恩恵”は、大企業の存在しない地方にとっては、例えそれが表面的であったとしても、経済的・政治的におおきな影響を発揮してきた。
ところが、今回の長野知事選挙はその常識を、見事にくつがえしてしまった。それは、河口堰問題がおおきな争点になった徳島県知事選挙でも同様であった。マスコミで賑々しく報道はされていないが、鳥取県でも大型開発公共事業にかわって県民生活密着型の新しい“実験”が着々と成果をおさめている。
長野県は、たんに「脱ダム宣言」行政をすすめたのではなく、それと並行して小中学校の三〇人学級化や特養ホーム建設など、地域生活密着型の行政がすすめられていたという。今回の長野県知事選挙の結果は、大型開発公共事業から県民生活優先の地方政治の勝利であり、民意は確実にあたらしい政治を求めている。
いまから約30年前、六〇年代末から70年代初頭にかけ、日本全体が革新自治体の誕生にわいた時代がかつてあった。それは高度経済成長の矛盾が大都市に集中し、それの解決を目指してたたかいは東京や大阪など大都市圏を出発点にして全国に広がった。ところが今日、「公共事業五〇兆円・社会保障二〇兆円の逆立政治をやめよ」の声は、産業空洞化の下で地方から着実にはじまっている。